付き合っていた彼女に振られた、医師2年目の夏。ローテーションをしていた消化器内科の先生方から夏休みをいただいた。沢木耕太郎の深夜特急に憧れていた自分は、バックパックを持って、海外に行こうと決意した。地元の姉妹都市交流でアメリカのノックスビルに連れて行ってもらったことはあるが、自分一人では初めての海外であった。研修医の薄給でも行ける熱い国ということで、タイを選んだ。偶然、消化器内科の先輩も同時期にタイに行くということで、現地で落ち合うこととなった。
8月21日、CATHAY PACIFICの機内で元国際線のスチュワーデスの婦人と隣になり、お酒を飲んだ。香港国際空港で、お別れをし、バンコク行きの飛行機に乗り込んだ。夜間にバンコク国際空港に着き、日本で予約しておいたタクシーに乗り、ホテルまで行った。
8月22日、蒸せ返るような暑さの中、待ち合わせ場所のタイ最大の鉄道駅、ホアランポーン駅に向かった。無事、先輩に会うことが出来たが、一緒に女性がいた。『すでに旅行者同士で仲良くなったんですね!』と思ったのだが、日本で付き合っていた彼女さんと一緒に来ていたのであった。鉄道に乗り込み、バンコクから北へ80㎞、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州にあるアユタヤーの町へ一緒に向かった。町に着いたら、まず、今夜の寝床探しであった。ホットシャワー、冷たいクーラー、鍵のかかる部屋の有無がとても大切だと教わった。自分は、1泊400バーツ(当時1バーツは3.26円)の安宿を選択した。全長28mの涅槃仏や寺院を見学し、バザールに行き、3人で楽しんだ。宿での夕方、ブルーのタンクトップを着た、すらっとした欧米の女性に、『一緒にお話をしましょう』と声をかけられた。自分は恥ずかしく、『忙しいので』と部屋に戻った。
8月23日、北上する先輩方と別れ、自分はのんびり出来そうなパタヤビーチを目指し、再び南下した。バンコクで宿を探し、White Lodge(1泊400バーツ)に決定した。
8月24日、バンコク観光をし、ムエタイ(2000バーツ)をみた。
8月25日、バンコクのISETANに向かった。マレーシア人だ、と言う20歳後半くらいの小柄で、ぽっちゃりした子に日本語で話しかけられた。3か月ほど東洋大学に留学していたそうだ。今度、妹が留学するので日本語を教えてほしいから、叔母の家で一緒にランチをしようと言われた。一人旅行で、やや寂しかった自分は快諾した。途中で弟(ガッチリ体型)と従妹(20歳くらい)と合流した。タクシーの中で、夜にバーで踊らないか?と誘われたが断った。叔母の家はきれいな住宅街にあり、庭がある白い家であった。叔母は少し、日本語を喋ることが出来た。妹(23歳くらい、姉より細身)と叔父もいた。タイ風のランチをいただいた。美味しかった。叔父から、博打の勝ち方を教えてやると、言われたが怪しい印象であり断った。姉、妹、従妹、自分の4人でタクシーに乗り、遊園地に行った (Googleで検索したところ、サイアム・パーク・シティという場所だったようだ)。みんなで写真を撮りながら歩きまわった。楽しい時間であった。疲れたので、姉と自分はベンチで休むこととした。いつの間にか、妹と従妹の姿がなかった。しばらくして、妹が戻ってきた。4本の栓の空いたオレンジジュースを持ちながら、従妹が戻ってきた。勧められるままに、プールサイドのリクライニングチェアに横になり、そのジュースを飲んだ・・・。
8月26日、目が覚めると自分の部屋のベッドの上だった。意識が朦朧としており、まともに階段を降りられなかった。両手と両足の広範囲に皮疹(大量の蚊に刺されたようだ)があり、8000バーツと3万円、クレジットカード、腕時計、デジカメ、電子辞書が盗まれていた。パスポートは残されていた(警察の話では、被害者は母国に帰ってもらった方が犯人としては好都合のため、パスポートは盗まないこともあるとのこと)。バックパックの裏ポケットに入れておいたドル紙幣があり、助かった。朦朧とした意識の中、やっとの思いでロビーまで降りると自分と同じくらいの年齢の日本人女性がいて、『昨日、遊園地で寝ていたそうよ。大丈夫?』と心配してくれた。その女性とWhite Lodgeの職員の話ではナンバイ(詳細不明、遊園地があった場所なのか)というところに倒れていて、警察が運んできたようだった。その女性は、安宿街のあるカオサン通りに行くと言って、『困ったら電話してね』と、電話番号を書いた紙をくれた。なんと優しい方であったことか!日本大使館にいき、警察にいった。たくさんの顔写真をみせられた。その中に、犯人家族がいた!警察の話ではフィリピン人であるとのことだった。
8月27日、Tourist Policeの日本に住んでいたことがあるアームさんとバイクに二人乗りで犯人の家探しをした。医者の卵の記憶力に期待しよう、と言われて頑張ったが見つからなかった。その後、豪雨の中、パッポン通りを歩き、ゴーゴーバーを外から眺めた。
8月28日、タイの最終日となり、香港に飛び立った。機内からタイの田園風景をみながら、右手が異常に腫れていることに気づいた。香港のPANDA HOTELに宿泊。
8月29日、深夜特急に登場したスターフェリー(天星小輪)に乗り、香港島などを散策。香港出発。8月30日に日本に帰国。
帰国後、MRIを撮影し、右橈骨遠位端骨折、右手根骨骨折を認めた(今思えば、警察に運ばれたときに、階段で倒れて手を着いたような記憶がある)。
生きていて良かった。腎臓も2個ある。今思い返しても、怖い。怖いことがあったにもかかわらず、機内からみた田園が続く、タイの景色は、今もとても優しい。自分から声をかけたとき、タイの人は皆、笑顔で接してくれる。タイにはまた、行きたい。逆に、見知らぬ人から声をかけられたとき、警戒しすぎるくらいでちょうどいい。
