トレイルランは、走る瞑想なのかもしれない

先日、トレイルランニング大会で23kmを走った。

ロードを走ることは以前からあったが、トレイルを20km以上走り続けるという経験は、思っていた以上に特殊なものだった。

山の中では、常に足元を見ている。

石がある。木の根がある。泥がある。急な登りがあり、その先には下りがある。

少し気を抜けば転ぶので、自然と目の前の一歩に集中する。

登りがきつくなってくると、さらに余計なことを考えなくなる。

仕事のことも、明日の予定も考えない。

というより、考える余裕がない。

呼吸をして、足を出す。

また呼吸をして、次の一歩を出す。

ただ、それを繰り返す。

しばらく走っていて、これは少し瞑想に似ているのではないかと思った。

瞑想では「今、この瞬間」に意識を向けるという。

しかし、静かな場所に座って何も考えないようにしようとしても、実際にはいろいろなことを考えてしまう。

自分の場合、じっと座って無心になるより、山を走っている方がよほど何も考えていない。

トレイルでは、何も考えないように努力する必要がない。

山が勝手にそうさせてくれる。

足元の石を避ける。

木の根をまたぐ。

登りでは呼吸を整える。

下りでは転ばないように次の着地点を見る。

意識は必然的に「今」に戻される。

もちろん、23kmも走れば身体は疲れる。

今回も走り終わったあとは、かなり疲れていた。

それなのに、不思議と頭の中はすっきりしていた。

普段は仕事をしていても、家に帰っても、頭のどこかで何かを考えている。

何もしない時間というのは意外と少ない。

だからこそ、数時間にわたって強制的に「目の前の一歩」だけを考える時間には、思っていた以上の価値があるのかもしれない。

山頂に着くことだけが目的でもない。

タイムだけが目的でもない。

一歩ずつ進んでいるうちに、いつの間にか20km以上が過ぎている。

そして山から戻ってくると、身体は疲れているのに、頭は少し軽くなっている。

トレイルランニングを始める前は、山の中を何時間も走る人を見て、「なぜそんな大変なことをするのだろう」と思っていた。

実際にやってみて、少し分かった気がする。

あれは単なる運動ではないのかもしれない。

少なくとも自分にとっては、

トレイルランは、走る瞑想なのかもしれない。

だから、また山に行きたくなるのだろう。

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