文章を書くという行為は、これまで思っていた以上に大変だった。
何か面白いことを思いつく。誰かに話したいことがある。自分なりの考えもある。
それなのに、文章にはならない。
書き出しを考え、話の順番を決め、言葉を選び、重複を削り、最後にどう締めるかを考える。頭の中には言いたいことがあるのに、それを「読める文章」に変換するところで、かなりのエネルギーを使う。
そのため、日常で何かを考えても、そのほとんどは文章にならずに消えていった。
AIを使うようになって、この構造が変わった。
最近、『リンダ リンダ リンダ』がよかったとChatGPTに話したところ、『サマータイムマシン・ブルース』を勧められた。
観てみると、これがよかった。
大学生が集まって、くだらないことをしている。何か大きな目的があるわけでもない。それなのに楽しそうだ。
「こういう青い青春が好きなんだよな」
そんなことをChatGPTと話していた。
学生時代は、友人と集まっているだけで一日が楽しかった。大人になると、お金も自由も増える。しかし、あの頃のような「何の役にも立たない時間」は、むしろ持ちにくくなる。
そんな話をしているうちに、ChatGPTが「これ、エッセイになりますよ」と文章にした。
読んでみると、確かに自分が考えていたことだった。
少し直した。
すると、一本のエッセイができた。
ここで気づいた。
考えることと、書くことが分離したのだ。
これまで文章を書くには、「何を言いたいか」と「どう文章にするか」の両方が必要だった。
しかしAIが間に入ると、
人間が体験する。
人間が何かを感じる。
AIと話す。
AIが構造化する。
人間が読んで、違うところを直す。
これで文章になる。
これは単に「文章を書くのが楽になった」ということ以上の変化かもしれない。
今まで失われていた大量の思考を、外に出せるようになったからだ。
映画を観て感じたこと。仕事中に気づいたこと。旅行先で考えたこと。友人との会話。お金について考えたこと。昔の記憶。
どれも一つ一つは小さい。
以前なら「わざわざ文章にするほどでもない」と思って、そのまま忘れていた。
でもAIとの会話なら、とりあえず話せばいい。
「これ、面白くない?」
そこから話しているうちに、自分でも気づかなかった考えが出てくる。そして最後に文章にしてもらう。
すると、消えるはずだった考えが残る。
だからAI時代に重要になるのは、文章をきれいに書く能力だけではないのかもしれない。
むしろ、
何を経験したか。
何に違和感を持ったか。
何を面白いと思ったか。
自分はどう考えたか。
こちらの価値が相対的に大きくなる。
AIは文章を作れる。
しかし、自分の人生を代わりに経験することはできない。
そう考えると、AIによって人間の仕事が一つ減ったというより、これまで文章を書く技術の陰に隠れていた「その人に何があるのか」が、むしろ前面に出てくるのかもしれない。
文章を書くハードルが下がれば、アウトプットは格段に増える。
エッセイも書ける。仕事についても書ける。ちょっとした哲学だって残せる。
これは「AIに文章を書いてもらう」というより、自分の中にあるものを、AIを使って外へ出すということなのだと思う。
考えることと、書くことが分離した。
その結果、これまで頭の中だけで消えていたものが、ずいぶん簡単に形になるようになった。
これから価値を持つのは、「うまく書ける人」だけではない。
何かを見て、何かを感じ、何かを考えている人。
AI時代の文章は、そこから始まるのかもしれない。
